
研修会
10月11日(日) 16:00~18:45

文化講演①

夢持ち続け日々精進 〜伝えることの大切さ~
株式会社 A and Live 代表取締役
(株式会社ジャパネットたかた 創業者)
髙田 明 氏
講習の内容
「佐世保の小さなカメラ店からスタートしたジャパネットたかたが、 全国に広く知られる企業になったのはなぜか」とよく尋ねられます。 しかし私自身は、 何か特別なことをしてきたつもりはありません。 ただひたすらに、目の前のことをやり続け、 常に「今を生きる」ことを大切にしてきました。 その積み重ねの結果が、今のジャパネットたかたです。 過去にとらわれず、未来を憂えず、ただ“今” この瞬間に集中してまいりました。
今回の講演では、 そうした私の人生を振り返りながら、 長年のラジオやテレビ通販の MC 経験を通して感じた「伝えることの大切さ」についてお話しさせていただきます。 また、社長退任後に挑戦したサッカークラブ経営の話なども交えながら、皆さんの心に届くような、熱いメッセージをお伝えできればと思います。
私の経験が、皆さまが夢に向かって一歩踏み出すための、 何かのヒントになれば幸いです。 会場でお会いできることを心から楽しみにしております。
Profile
1948年 長崎県平戸市生まれ
1971年 大阪経済大学 経済学部卒業後、 「(株)阪村機械製作所」 入社
1974年 父親の経営するカメラ店 「(有)カメラのたかた」 入社
1986年 「(有)カメラのたかた」から分離独立し、 「(株)たかた」を設立
1999年 「(株)たかた」から 「(株)ジャパネットたかた」に社名変更
2015年 「(株)ジャパネットたかた」代表取締役退任後、「((株)A and Live」を設立
2017年 プロサッカークラブ 「V・ファーレン長崎」の代表取締役社長に就任
2020年 「V・ファーレン長崎」の代表取締役社長を退任
文化講演②


明治以降の長崎と西洋医学の発展
長崎総合科学大学名誉教授
グラバー園名誉園長
出版舎フライング・クレイン・プレス代表
ブライアン・バークガフニ 先生
Brian Burke-Gaffney
講習の内容
長崎は南蛮時代から世界に開かれた貿易港として発展してきました。 その中で、 西洋人が紹介する医術、とりわけ手術を中心とした外科が注目を浴びて日本従来の医学に影響を与えました。幕末になると、オランダ人医師 J・L・C・ポンペ・ファン・メールデルフォールトらが小島養生所を開設し、 衛生学を含む近代医学教育の基礎をつくりました。
安政5(1858)年の安政五カ国条約の締結に伴い、長崎居留地が開設され、新しい国際交流の時代が始まりました。各国海軍の軍医と東アジアの各港を訪ね回る巡回医が来航する西洋人医師の大半を占めましたが、明治中期ごろから長崎に定住して居留地のみならず広く医療活動を展開する医師たちが現れ始めました。
明治12(1879) 年、アメリカ人のジョージ・ソルター医師は県庁から許可を得て、 筑後町に医院を開設。
居留地の外に診療所を設置することは、シーボルトの鳴滝塾を彷彿とさせる異例の特権でした。 また西洋人医師たちの中で、官立の長崎医学校に講師として就任し、最新の外科手術などを紹介して日本における西洋医学の発展に貢献する医師もいました。
Profile
1950年 カナダ中部のウィニペグ市で生まれる
1972年 ヨーロッパ、インド等を経て来日
1973年 臨済宗入門得度、1982年まで京都の
妙心寺専門道場等において禅の修行を積む
1982年 長崎市に移り住む
1985年 長崎市嘱託職員に就任
1992年 長崎県民表彰受賞 (外国人として初めて)
1996年 長崎総合科学大学・地域科学研究所教授に就任
2001年 同大学人間環境学部環境文化学科教授に就任
2007年 博士号(学術)取得
2009年 長崎総合科学大学環境・建築学部長に就任
2016年 2016年度長崎新聞文化賞受賞
2023年 長崎総合科学大学退職
現 在 長崎総合科学大学名誉教授、グラバー園名誉園長、
出版舎フライング・クレイン・プレス代表
【主な著書 】
『霧笛の長崎居留地~ウォーカー兄弟と海運日本の黎明』 (2006年 長崎新聞社)
『リンガー家秘録~1868-1940』 (2014年 長崎文献社)
『写真でたどる旧グラバー住宅の歴史』
(2020年 フライング・クレイン・プレス)
「長崎偉人伝 ~T・B・ グラバー』
(2020年 長崎文献社)
『欧米人が歩いた長崎から雲仙への道』
(2023年 フライング・クレイン・プレス) など

教育研修講演

原子力災害医療と整形外科医
一善きサマリア人たれ一
長崎大学名誉教授
福島県立医科大学副学長
福島国際研究教育機構第4分野副分野長
山下 俊一 先生
講習の内容
放射線や放射能をイメージすると、 その便益よりも原爆被災の急性放射線障害や発がんリスク増加のような晩発性放射線障害に繋がり易く、 ある意味で、 先入観や偏見、 さらに不安や恐怖が払拭されない場合があります。一方、放射線被ばくや汚染を伴う事故では、 外傷や骨折、 さらに熱傷もそうですが、整形外科に関わる複合事象が少なくないのです。 事故や災害など救命救急領域で活躍する整形外科医の中には、原子力災害医療に関与している人も少なからず存在しています。ところが、医療関係者でも放射線被ばく患者や汚染傷病者に関わると、躊躇したり尻込みする人がいることも事実なのです。
本日の講演では、チェルノブイリ原発事故後の医療支援活動と、東日本大震災により発災した福島原発事故直後からの公衆被ばくに対峙した経験と教訓を中心に、 「転禍為福」のちょっとイイ(E)話をしたいと思います。もちろんエビデンスベースのEですが、医学医療を支えるE話は多岐に渡ります。 原爆被災からの復興・再生と平和のシンボルである 「長崎の鐘」 と 「善きサマリア人たれ」 の精神的支柱が、 整形外科医の一人一人にとっても意義深いものであると確信しています。
Profile
1978年 長崎大学医学部卒業
1990年 長崎大学原爆後障害医療研究所教授
2005年 WHOジュネーブ本部放射線科学官
2011年 福島県立医科大学副学長/内閣官房原子力災害対策調整官
2013年 長崎大学理事・副学長
2018年 長崎大学名誉教授/福島県立医科大学副学長
2019年 量子科学技術研究開発機構放射線医学研究所所長
2023年 福島国際研究教育機構第4分野副分野長